「SOUL REFEREE」 P.N 白鷺 朱陽

降りしきる雨。
 けたたましく鳴り響くサイレン。
 町の死角となったこの場所で、消え入りそうな呻きをあげる男がひとり――
 膝は完全に折れて、もうすぐやってくる死に対し、もがき苦しんでいた。
――バチが当ったんだな……きっと――
 死に向かうその中で、男は今さらながらの後悔の念に囚われていた。

 数ヶ月前、男は突然リストラの対象となった。
 それと共に、彼は崩れ始めていく。
 女房には逃げられ、ひたすら酒を呷り、ギャンブルに没頭していった。
 その結果、当然の如く借金が膨らんだ。
 この時勢、このような男にまともな金融機関が金など貸してくれるわけもなく、タチの悪い金貸しにグルグルとたらい回しにされまくったのだ。
 そんなおり、同じような境遇で知り合った男にある誘いを受けた。「宝石強盗をやらないか」と。
 何でも彼はひょんなことから拳銃を手に入れたらしいのだ。
力だ。それさえあればなんでもできる。
今の男からして見れば、拳銃はそういった象徴みたいなモノ。
後がない男はその話に聞き入った。そして当然の如く、その話に乗った。
そしてそれは、思いの外上手くいったのだ。
 閉店間際に宝石店に押し入り、拳銃(のような物)で脅して、時間が許すかぎりブツをカバンに詰めて、逃げる。
 よくニュースなどで耳にするようなズサンで強引な方法で、だ。
「やったな。おいっ!」
店の裏口から路地裏へと逃走した二人。
あまりに上手く行き過ぎて大喜びする彼は、仲間に思わず、興奮の声を洩らした。
「そうだな」
 彼とは対照的に仲間の男は静かにそう答える。そして逃げるその足をピタリと止めた。
 それに相まって彼の足も止まる。
仲間の男はゆっくりと振り返った。
銃口が男の胸を指し、怪しく光っていた。それに対し、彼は声をあげる暇もなく……
ダンッ!
その音は、サイレンの音とこの場所に洩れ入ってくる赤い光によって掻き消されたかもしれない。
仲間の男はなんの躊躇いもなく彼を撃ったのだ。
「こうしないと、お前に取り分を渡さなくちゃならんからな」
彼は裏切られた。それは突然やってくるモノでしかないのだから、理解できない。できるハズもない。
男は崩れ落ちる。しっかりと抱えられた戦利品も地面に投げ出してしまった。
仲間の男は転がったバックを慌てて拾い上げ、
――人手がいると思ったから、お前に協力してもらっただけだ――
 憐れな彼に一瞥の眼差しを向けて、心の中でそう付け足した。
もがき苦しむその姿をよそに、なんとも欲深い男は「あばよ」と短い言葉だけを残し、彼の視界から消えていく。
 死に向かう運命と共に、彼はひとり取り残されたのであった。

「バカ、だよな……本当に……」
 そうつぶやく男には、もう死に抗う力は残されていない。力なくバタリと倒れこむ。
 轟音と共に噴き出された鮮血も、全て雨が拡散させる。寒さが身体を侵食していく。
彼にはもう生きる術など残されてはおらず、ただあきらめるしかない。
先程の紡いだ言葉には男の人生が集約されていた。
 静かにまぶたを閉じる。惨めな最後に足掻くことは不要だと思えたのだ。
しかしその時、男は気配のような奇妙なものを感じた。
この辺りには自分以外の人間はいなかったハズだ。
――などと彼に状況を分析できる余裕はない。
開けた瞳に映ったモノ……それは少女の姿。
少女の灰色の瞳には憐れな末路に向かう男が映っている。男にもそれがはっきりとわかっていた。
白い服とその四肢は透けるように白い。純白で汚れなき神々しさは、男の目には眩しすぎた。
――天使に出会えた――
 彼は彼女の存在をそういうモノだと勝手に解釈した。
彼女に向けて思わず、救いを求めるかのように手を伸ばす。
助けを請う、というおこがましい考えなどない。ただ彼女に触れたいと……それは残された命に対して、もっとも価値のある代償だと、男はそうも思えた。
力ない手が、目一杯、目一杯と伸ばされる。
その姿を無機質な顔で見つめていた少女は、包み込むように両の手で男の手を取った。
その手は、雨と失いつつある命のせいで冷えきっている。
男は嬉しかった。幸せだった。
さっきまで死に翻弄されていた顔がほころび、彼女へその顔を向けた。
すると純白の少女の目から落ちる雫が頬を伝う。
――こんな俺のために……――
 男の心に感動が満たされる。それと共に意識は彼方へと。
なんとも安らかな顔。男の命はそこで尽きたのだ。
それでも少女の表情は何一つ変わることはなかった。

「で、どっちなの?」
 ポンと肩に手を置かれ、少女の身体はビクンと揺れる。
 それは少女とは対照的な女性。漆黒の衣服を身に纏い、誰もが羨む豊満なボディを持ち合わせたオトナの女性だ。
「天へ……」
「そう、ゴクロウサマ」
 男は少女のことを天使だと思っていたようだが、そうではない。
 彼女は死を迎えた魂の行き先を決定する、ただそれだけで重要な役割を持つ存在。
 そして漆黒の女性は、その魂を決定された場所へと送り届けるのが仕事だ。
 彼女らの存在が人間に見られるのは稀なこと。
 孤独に死んでいく者たちが大半の目撃者なので、彼女らの存在が伝え広められることはない。
 どっちにしろ、人間に見られたからといって、どうこうしようなどと思っていないのだが。
「そういえば……アナタは初めてなのね」
「……」
彼女は男から視線を離さず、コクンと頷いた。
「そう……」
「スイマセン……」
 たどたどしく言う。彼女は自分の決定に疑問を抱かれたと思い、不安になったのだ。
人間たち自らが形成したシステムに翻弄され、最後には裏切られて命を失くした男に対し、憐れみの感情を抱いたことは、嘘とはいえない。
だからといって、己が持つ役割の重大さを忘れてはいない。
痛かった。苦しかった。
本当はあの男の最後に微笑みをあげたかった。それがどんなに素敵なことなのだろうか?
彼女が無表情だったワケ。その胸の裡で、心がわかる痛さ、自分の重さと戦っていたから……
「ツライわよね。お互いに……」
 彼女の気持ちを察したかのような口ぶりに、少女は少し安心した。
彼女らは魂に直接触れる。それは自然と自分のココロの中にその魂の情報が流れ込んできてしまう。それが一体どういう影響を及ぼすのか、そのことを彼女は経験上わかっているつもりだ。
「……ありがとうございます」
「いいのよ。じゃ、これからも頑張りなさい。オネエサンは応援してるから……ねっ」
 少女に優しくそう言うと、仕事に取り掛かる。
 慣れた手つきで男の死体から魂を抜き出した。
 丁度、サッカーボールぐらいのそれを大事そうに抱え、天へと昇っていく。
 少女は彼女の仕事をしっかりと目に焼き付けた。そして思うのだ。
――アタシもいつか、あんな風に出来るのカナ。アタシが壊れないように、ちゃんとやれるのかな?――

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