ぱんっ!
気持ちいいほどのその音は、寒くなってきた夜空に響いた。
街角を行き交う人々の視線が、アタシに集中しているのがよくわかる。
痛かった。アタシの手も……ココロも……
凍えかかっていた手にジンジンと熱が灯る。
噂には聞いていたが、まさか自身でそれを目撃するとは思いもしなかった。
フタマタされていたのだ。いえ、三マタかも知れない……
とにかく、他のオンナと一緒に歩いていたカレシを街角で偶然に見つけた。アタシは居ても立ってもいられず、感情に突き動かされるがまま、その場で思いっきり引っ叩いてやったのだ。
「何すんだ、いきなり……」
 真っ赤になった頬をおさえ、アタシにそう突き返す。
 隣にいた彼女は彼に寄り添い、きっ、と強く睨み据えてきた。
 こうなることはなんとなく予想できたかも知れない。
 大学生活にも慣れてきた今年の夏、友達と海に行った。そこで目の前のコイツにナンパされ、どうにもアタシは言い寄られるとダメな傾向にあるのか、見事にハートを射抜かれた感じがした。それで付き合い始めたのだ。
 夏という季節がそうさせたのか、今となってはあの時はしゃいでいた、と言うしかない言いようがない。
 あの時のときめきは恋愛のそれだと思った。が、錯覚だったのだ。
 夏が過ぎると彼の態度が一変し、アタシに対してなんか冷たくなってきていた。
 だから何となくと言うか、何と言うか……
 自分の幼さを痛感する。
あ〜あ、クリスマスまでもたなかったなぁ……
迷う必要なんてない。フタマタなんてオトコをフる理由には充分だ。
アタシはきっぱりはっきりこう言い放った。
「サ・ヨ・ナ・ラ!
隣のその彼女とウマくやんなさいッ!」


「なんかアタシ、バカみたい……」
 何度つぶやいただろう。
 突然の怒りと淋しさ、その両方にアタシはどうにも小さくなっていた。
 休日のショッピングのはずだった。出来ればあの彼と一緒の。断られた、と思ったらあんな光景を目にするなんて……
 今までどこをフラフラと彷徨っていたのやら……
足取りなんていちいち憶えていない。
 ふとマンションの小さな灯りに目が止まる。
 いつの間にかウチの近所まで帰ってこれていた。
 ……PM10:58。
 携帯の時刻を眺めると、コンビニの白い灯りが視界の端に入ってきた。
 今でも気持ちが収まらない。どうにもならない感情に涙が滲み出る。
 ぐぅ〜。
 くたびれたオナカの音。そうだ、まだゴハンも食べてなかったんだっけ。
 コンビニの照明に誘われたのか、なんだか知らないけど。
 みっともない涙をゴシゴシ拭いた。アタシは無理にでも表情を戻し、店に入ることにした。
 食べてやる。食べて、ストレス解消して……こんなバカみたいなこと忘れてやる!


 半ば勢いこんで店内に入る。カゴを引っ掴むと考えなしに、とにかく好きなモノを無意識と言っていいほど、ポイポイと投げ入れていく。
 本当はこの時間帯に食べるのはオンナのコにとって超キケンなんだけど……
 欲しいがまま食べたいのはヤマヤマだけど、そのあと体重計という恐ろしい敵が待っている。ダイエットって簡単にいうけど、けっこうムズカシイ。これでもいつもは気を使っているのだ。
 でも、今のアタシにはそんなことスッポリと抜けていた。
 だからだろう。ハッとカゴの中に目を落とすと、食料品が溢れかえっていた。
 ……いくらなんでも、これは……ねぇ……
 仕方なく吟味しながら、いらない、と思うモノをそっと棚に戻す。
 スイーツも割かしある。甘いものは別腹だって言うけど、それでも一人で食べきれる量じゃなかった。
でも、そんなこと今のアタシはおかまいなし。まさか誰もこれを一人で食べようとは思いもしないだろう。
なんだか少し気分が晴れた。
「すいませ〜ん」
 誰もいないレジに声をかけると、控部屋からすぐさま店員は出てくる。
 が、その暗い雰囲気の店員の顔――
アタシは一瞬息が止まった。
 なんで……?
 なんでオトコをフった日に、昔フったオトコに出くわすのよぉ〜。
 高校生だったころアタシは、同じ学校に通う彼に告白された。
 アタシの方も「彼ちょっとイイナ」と思っていたので、オトコに告白されることに弱いアタシはそのまま付き合うことにした。
 彼は確かに優しかった。でもそれだけ。そこに物足りなさを感じたのだ。
 恋に恋していたのかもしれない。ドラマのような恋に憧れていない、といえば嘘になる。
 だからなのかな……好きだったはずなのに、優しいだけの彼に不安を感じたのは。
その思いが膨れ上がって、アタシは別れを切り出した。それなのに、彼は迷うことなく頷いてくれた。
いま、同じ大学のはずだけど、高校を卒業して以来、姿も見かけることもなかったのに。
しばらく会わないうちに彼は前よりも陰気クサくなった。
「や、やぁ……久しぶり……」
 彼も突然のことのようだった。なんだかぎこちなく、うまく声が出ていない。
「そうだね……」
 ゆっくりとカゴを渡してながら、そう返すアタシの顔もどうにも引きつってしまう。
 何の前触れもなく元カレに再会する、ってこんなにも気まずく、戸惑ってしまうものかと初めて実感した。
 彼も戸惑いながらもレジを打ち始めた。カゴの中身を一品一品取り出して、電子音を鳴らし、レジに読み込ませていく。
三つぐらいその音が鳴って、アタシはカゴの中のその量を思い出し、なんだか恥ずかしくなった。
「あっ、これね。今日友達が泊まりに来てるから……」
 顔を赤くし、取り繕うように言う。
「そうなんだ」
 彼は仕事を続けながら、顔も見ずにそう返した。
 間に受けてくれたみたいで、胸を撫で下ろす。
 会計を待つ私。黙々と仕事をこなす彼。なんだか妙な沈黙。
 もう少しなんか話し掛けてきてくれても、と思う。
 ……アタシも……別に話すことなんて思いつかない。
 なんだか気まずく思う。それはお互い様かな?
 なんだか彼、緊張しているようにも見える。
 ……ひょっとして、まだアタシのこと……?
 まさか、ね。
 アタシはおぼろげでもそう確信をしてしまう。丁度そこで会計は終わる。
 量も量だからそれなりに随分な金額。仕方がないような感じで代金を支払った。
 ボソッとしたマニュアル口調での「ありがとうございました」が聞こえると、ビニール袋の取っ手を握って「じゃあね」と彼に軽く手を振って言った。
 扉を振り向くアタシの目の端には、遅れてぎこちなく手を返す彼の姿があった。


闇を薄ぼんやりとした街灯が照らす。寒くなり始めた風が少し肌を刺激する。
夜道は危険が多いが、そうそう危険がやってくるもんじゃない。
星を眺め、ゆったりと歩くアタシはぼんやりと考えていた。彼のことを。
今日フったオトコのことなんて、もう頭になかった。
まだアタシのこと想ってたんだ。
アタシの一方的なワガママで別れちゃったのに……ほんと、笑っちゃうぐらい女々しい。
 アタシはアナタのことなんて忘れていたのよ。
 オトコって、いつまでも前の彼女のこと忘れられないのかな?
 なんだか嬉しくなった。
 オリオン座の中心に3つ、寄り添うようにいる星たち。その淡い輝きを見つめ、自然に顔がほころんでいた。想われている、って悪くない。ストーカーは迷惑だけど。
 まぁ、ここであの彼がアタシを追いかけてきてくれる――
 なんて、ドラマみたいな展開。あの彼の性格から考えてそれはないわね。
 ちょっとの期待感――すぐさま否定した。
すると、背後から迫る、誰かが発してくる足音。荒い息が近付いて来る。
ないない。どうせ、夜のジョギングでもしてるヒトよ。
でも違った。
後ろを振り返る気もしなかったアタシ。
しかし、背後を迫る影が、アタシの腕を強くしっかりと掴んできた。
「きゃっ!」
 身体に悪寒が走る。反射的に悲鳴を上げていた。
 なんともいえない恐怖が駆け巡る。
おそるおそる振り返るアタシ、その姿、頭の中で一瞬誰だかはっきりとしなかった。
だけど、そこに居たのは……ついさっき期待して、すぐさま否定した彼がそこに居た。
二重の意味で、ホント、ビックリした。少し怖い思いをしたので彼の姿に正直『ホッ』とする。
「ちょっと、脅かさないでよ」
「ゴメン……」
 彼はうつむき加減で謝ると、握り締めたままその手を慌てて離す。
「ううん。急でちょっとビックリしちゃった」
 アタシは妙に嬉しかった。少し大胆な行動をしてくれた彼に笑顔。
 でも、彼はうつむいたまま、
「ゴメン……」
 責めてるわけじゃないのに。
「もういいわよ。で、なに。どうしたの?」
 アタシはちょっと期待してるんだよ。そんな表情で彼に迫ってみせた。
 でもそんなアタシに彼の方はしどろもどろになってしまう。
「あの……その……今、どうしてるのかな、って……」
 やっとの思いでふりしぼって……コレ?
優しいんだけど、相変わらず気が弱いんだね。
 期待ハズレもイイところ。オトコならストレートに来なさい。
 何も変わっていない。その煮え切らない態度が、カワイイような、もどかしいような……
「楽しくやっているわよ。彼氏はいないけどね」
 思わず吹き出しそうになりながら、アタシは答える。
 事実昨日までいたんだけど、今の彼にそんなこと話してもどうにもならない。
 言って慰めてもらう気なんて、しないしね。
「なぁに、そんな事聞きたくて追いかけてきてくれたの?」
「いや……まぁ……」
 わかってるのよ。アナタの気持ちなんて。
「アナタはどうなの?」
 悪戯の虫が騒ぐ。からかい半分でわかりきったことを、今度は私が訊く。
「ん〜、ボチボチかな。彼女いないけど……」
 しばらくまごまごしてたけど、ナマイキにアタシの言い回しまでマネてきた。
 まあ答えなんて知れていた。明らかに無理してる。
 今までアタシのこと……ずっと……ずっと――
 でもなんか苦しそうだよ。アナタの気持ちは嬉しいけど、アタシたちは終わったの。
 アナタはアナタの時間を進めるべきよ。
 あっ、そうだ!
 アタシは思い出した。
まだ付き合ったこともない友達のこと。そういえば、そんな連中が集まってどうにかして合コンするを計画立てていたんだっけ。
……まだ一歩も進んでないけど。まさに一石二鳥。
「じゃあさ、今度合コンしない?」
「えっ?」
「お互い付き合っているヒトいないんだから」
「う、うん」
 気の弱い彼はアタシの提案に戸惑いながらも頷く。
「じゃ、ケータイ借して」
 彼は言われるがまま、アタシにケータイを差し出す。
 受け取ったケータイをよく見ると、変わっていない。
 変わっていないのは彼だけじゃなく、そのケータイも。
 メモリーを操作するとやっぱり、昔のアタシのナンバーが登録されたまま……
 やっぱり、笑っちゃうぐらい女々しいよ。
 なんだか考え込んでいる彼をよそに、アタシはそこに今の自分のTEL番号を打ち込み、そこへ上書きした。
「はい」
 彼が気付くようにケータイを突き出す。
 彼はその声に遅れて、おそるおそる受け取った。
「それじゃ、ね。イイオトコ揃えといてよ」
 去り際に笑顔で手を振った。これがあなたに向ける最後の笑顔になるとイイね。
 彼はそこにポツンとひとり。アタシは夜道の家路へ――


 ワガママなアタシのことなんて早く忘れちゃいなさい。
 アナタの優しさが欲しいオンナのコだって絶対いるんだから。
 ダメだったらまた次でイイじゃない。いつまでも引きずってるのって、やっぱりよくないよ。
 ――ただ、今日あったバカなこと。アナタが少しだけ吹き飛ばしてくれたのには感謝してるから……

 

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