「冬のはじまりに」 P.N 白鷺 朱陽

あれは風が冷たくなり、木々の彩りが少しさびしくなってきた頃だった。
 別れを切り出したのは彼女から。
 突然だった。
 恋に恋していたのか、ドラマのような恋に憧れていたのだろう。
 多分、まだ僕らは幼すぎたんだ。
 僕は、彼女を大事にしすぎていた。彼女がそばにいるだけで幸せだった。
 逆にそれが彼女を不安にさせていたのかもしれない。
 あの頃の僕は彼女を想い、ただ黙って受け入れるしかなかった。
 僕の前から去る彼女の姿は今でも目に焼きついて離れない。
あれからもう2年も経つ。
 僕はまだ彼女の姿を探し続けている。
 あの時のショックが大きかったとはいえ、よく大学に入れたものだと思う。
 そう、彼女と同じ大学だ。別れる前に二人で相談し合って決めた大学だ。
 僕は進路を変更する余裕も気力もなく、そのままそこを受験した。
浪人にならなかったのは運がよかったのだろう。
だけど、なんだか実りの無いモノを感じる。
講義を受け、コンビニのバイト、そして家に帰って寝る。この繰り返し。
ただ何気ない日々に追われ、季節のあとすらも感じられない。目的も、彼女さえも見つけられない僕。
バイトをしながらでも感じている。今もこのサイクルから抜け出せないでいる僕がいる。


AM11:00を過ぎた。
店の立地条件もあるが、この時間帯になると人の出入りはまばらだ。
深夜のシフトは暇な時のほうが圧倒的に多い。
一番気を付けなければならないのは強盗だけど、そう滅多の起こるわけでもないし、起こっても困る。
今店にいる客は三人。
雑誌の立ち読みをする若者。仕事帰りのサラリーマン。おにぎりやお菓子などの食料品を次々とカゴの中に放り込む女性。
控部屋でのん気に雑誌をめくる先輩と、ぼんやりと天井を仰ぎ見ている僕。
こうしている時間が多いのは仕方がない。客がレジに来るまでやる事がないのだから。
「すいませ〜ん」
 程なく女性の声が掛かる。
 それに応じてレジに出た僕。
だが、その女性の顔を目にして驚いた。僕の頭は真っ白になった。
それは探し求めていた彼女の姿。
声も顔も鮮明に憶えていたハズなのに……
目の前に佇む彼女は、以前よりもオトナっぽくなっていた。
僕が見つけられなかったのは、彼女の変化に気が付いていなかっただけだったんだろう。
「や、やぁ……久しぶり……」
 あまりに突然で上手く言葉が出ない。
「そうだね……」
 素気なく言葉を返す彼女も少しビックリしているみたいだ。
僕はおそるおそるバーコードリーダーを手に取り、カゴの中に入っている商品一つ一つにそれを押しつけていく。
やけに食料品が多い。大方、女友達と一緒に一晩を過ごすのだろう。
そのことに彼女も気付いてか、なんだか恥ずかしそうに、
「あっ、これね。今日友達が泊まりに来てるから……」
「そうなんだ」
 予想通りのことに、思わず素気なくそう返しただけ。
妙な緊張を感じていた。身体中が震えているみたいだった。僕は彼女に何を言えば良いのかわからず、ただ無言で仕事をこなしていた。
折角会えたのに、過ぎるのは沈黙の時間だけ。
やがて商品も袋に詰め終わり、彼女から代金を頂く。
「じゃあね」
 彼女は僕に軽く手を振って店を出た。
その後ろで手の平を広げていた僕。なんだか、その場に一人取り残されたような感じに襲われる。
本当にいいのか、このままで――
今度はいつ会えるのかもわからない。僕にとってこのままでいいハズがない。
彼女は僕から離れることで前に進んだ。
それに彼女には、教師になるという明確な目標もある。
僕は女々しい。他人から気持ち悪がられても仕方がないとも思う。
でも僕は……それでも僕は――
僕は決心した。が、ハッと気が付くと僕の目の前にはサラリーマンの姿。
このままレジを打っていては彼女に追いつけない。
「先輩、レジお願いします」
 居ても立ってもいられない僕は叫んだ。のん気に雑誌を眺めていた、あの先輩に。
 僕は彼女を追いかけて店を飛び出した。


夜の闇に、ぼんやりとした灯りの中を走る。彼女の姿はすぐに見つけられた。
夜道を行く彼女はどこか小さくも見える。
激しく息を切りながら走る僕は、彼女のことを想い続けて、どこか盲目的になっていたのかもしれない。気が付くと僕は彼女の腕を強く掴んでいた。
「きゃっ!」
 彼女の肩がビクンと震える。
 悲鳴を上げられるのは当然だ。暴漢だと間違われても仕方がない。僕はそれだけ大胆なことをしてしまったのだから。
 彼女がおそるおそる振り向く。彼女の瞳に、息を切って走ってきた僕の姿が認められると、彼女はホッとした表情を浮かべてくれた。
その行動に僕自身も少し戸惑いながら。
「ちょっと、脅かせないでよ」
「ゴメン……」
「ううん。急でちょっとビックリしちゃった」
「ゴメン……」
「もういいわよ。で、なに。どうしたの?」
 悪戯っぽい笑みを向けて迫ってくる彼女。その表情は、以前付き合っていた頃には見られることはなかった。
そう、僕の記憶の中にはまだ少女だった彼女しかいない。
その魅力に僕の鼓動が強く脈打ち、どうにも、しどろもどろになってしまう。
「あの……その……今、どうしてるのかな、って……」
 やっとのことでふりしぼったのは、何ともマヌケなモノだ。
段取りも何もなく飛び出してきた。彼女に何を言いたかったのかもわからない僕は、激しく後悔していた。
彼女は一瞬間を置いてから、マヌケな問いかけに、
「楽しくやっているわよ。彼氏はいないけどね。
なぁに、そんな事聞きたくて追いかけてきてくれたの?」
「いや……まぁ……」
「アナタはどうなの?」
 そう返されるのも予想できず、子犬のようにビクンと震える。
 僕はといえば、彼女のように目指すモノもなく、ただぼんやりと日々を過ごしていただけ。それを正直に答えるのは辛い。
「ん〜、ボチボチかな。彼女いないけど……」
 最後は彼女のマネをして、余裕を見せたつもりだった。
が、彼女の目にはそう映っていなかったのは、僕を見つめるその眼差しでよくわかる。
「じゃあさ、今度合コンしない?」
「えっ?」
 パッと輝く明るい表情とその声に戸惑う僕。
「お互い付き合っているヒトいないんだから」
「う、うん」
 今まで考えたこともなかった。彼女以外の娘の、隣にいる僕を……
「じゃ、ケータイ借して」
 なんだか妙に明るい調子で振舞う彼女に気圧されて、素直に自分のケータイを渡した。
 そこにはまだ止まっている僕の証がある。
 彼女はそれに気付いただろうか?
 そのことを知られるのは少し怖い。
 彼女はどう思うだろう。いつまでたっても元カノのことを忘れないでいるオトコを。まだ想い続ける、惨めなオトコのことを。
 小さなディスプレイを見つめる彼女のそばで、自虐の念に囚われる。
「はい」
 やがて、その声と共に彼女に突き出されたケータイに気付き、そんな考えを慌てて追い払った。
「それじゃ、ね。イイオトコ揃えといてよ」
 ぼんやりとした街灯たちに照らされ、去り行く彼女の微笑み。
 そのオトナっぽい表情は、僕の胸をドキドキさせた。
 そこには僕の知っていた彼女の姿は、もうない。彼女は確かに変わっていた。
 僕はそんな彼女を、また好きになった

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